テレビやラジオその他、人前にでる有名人。その誰かに似ていると言われたら、どう反応しますか?
それはかわいそう
友人2人が私の前で、こそこそと話をしている。その一人が、それは悪いよ、聞いたら怒るよと言っている。私のいないところでならともかく、目の前でやっているのだから、怒らないから言ってというと、私がなぎら健壱氏に似ていると。一人が似てるよな-といい、もう一人はそれはひどいよと。なぎら氏は、私の理解する限りでは、当初おばかなキャラを全面に出してテレビに出演していたと思う。今ではとても能力のある人と思うが、テレビだけで知っている人には、そうしたところは伝わっていない。
嫁の母
この話は私が20代半ばの話。結婚後に嫁に話すと嫁は義母にそれを話した。義母はいわゆる大阪のおばちゃんだ。私がそんな人に似ていることはない、私はそんなにひどくないと、ひとしきり怒ったという。なぎら氏への評価がとても低いのだ。その後、あらためてなぎら氏の写真を見て、一言「似とるな-」と。
私の気持ち
自分の顔は日々見ていて、かっこよくないことくらい理解している。というわけで、友人に言われてもマイナスの感情はなかった(なぎらさん すみません)。また義母。大阪のおばちゃんだから笑い話で終わり。でも、似ている相手をひとしきりひどい人と評価をして、最後にその人にやっぱり似ていると言ったら、それはとてもひどく、傷つけることではないだろうか。とりあえず笑い話であるが。
ゆとり・ふかさ
感情的にならなかったのは、私のこころの広さ、ふところの深さ。といったら否定されるに違いない。それともゆとり?おそらく違う。ただ顔が似ている、似ていないに単にこだわりがなかったからだろう。似ている似ていないを、もしお金が手に入る、入らないに変換したらどうなるか。確実に反応は違うものになるだろう。こだわらるものに対しても、こだわらないものと同じようにゆとりを持ち、どのような状況なっても平静さを保つ、受け入れられる状態にすることが大切なのだ。さまざなな投資の指南書は、眠れる範囲で、つまり心配で寝られないということはなく、安心の範囲(余裕資金)で投資するようにアドバイスしている。顔に関することで眠れない夜はない。投資もそうなるように気をつけている。でも寝不足だったら、なんであんなやつとこの自分がとお怒ったかな?(なぎらさん すみません)。

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