直接資産形成とは関係ないのですが、まわりまわって関係があるかも、やっぱりないかもという話を、少々自虐をこめて書きます。
前回の続き
紙幣そのものの美しさ、しわのない姿。小学校低学年の頃、物としてのお金に心を奪われ、切手帳にしまった話を前回した。本来お金は、保管してもそれは使用するまでで、使うためにあるものだ。また、資産運用では、お金に働いてもらう、なんて表現もしている。そこでもし、岩倉具視と伊藤博文のピン札1500円を投資の神様ウオーレンバフェットに預けていたらどうなっていただろう(実際は無理です)。生涯利回り平均20%との情報をベースにして、試しに50年複利で計算してみる。
1500円x1.2(1年後)x・・・・・・x1.2(50年後)=約1365万円!
最初の1500円がなんと1000万円を超える。ただあくまでも机上の計算だ。バフェットが神様と言われるすごさはわかる。
一般的な株式の期待収益率として6.5%を使い同様に計算すると
1500円x1.065(1年後)x・・・・・・x1.065(50年後)=約3.5万円
小さいけれど、それはバフェットと比べるからだ。10万円をスタートにして、約230万円になったと考えたら、感覚も違ってくるのではないだろうか。
子供の頃、切手帳にしまわず、証券会社に口座を作って入れておいたら、複利のすごさを学んでいたら、親の教育がもっと・・・・・・、などと言うつもりはない。上記はあくまで「~たら」「~れば」だから。
大きな50円硬貨
思い出したことがある。幼稚園の時、大きなサイズの50円硬貨を大切にしていた(当時新旧2種類あった)。手に握りしめた感覚は、大きい分だけ今の50円硬貨とは違ってしっくりした。母はそんなもの持っていてもしかたない。お菓子でも買うか、使わないなら銀行へ預けるべきと言った。貴重な、大きなサイズのその硬貨がなくなることに拒否反応を示す自分と、お金を利用して楽しむか、利息がつくメリットをとるか、お金の本来の使い方を説く母とで少し言い合いになった。結局、銀行には個人用の引き出しがあって、そこにしまうだけと理解して(母はそんな言い方をした)、そこに置くことに同意した。しかし、後日預けた50円硬貨そのものはなくなったことを知った。そのくやしさから、大切なお金は銀行には預けないと決め、その数年後に500円と1000円のピン札は切手帳にしまわれることになったわけだ。金融教育は大切である。教える側は教えるにあたり学ぶ側の器も考慮する必要があるだろう。子供の時に、お金の本質そのものを理解したバフェット。一方お金の形に、手触りの感覚に魅力を感じて、それを保管した自分。器が小さすぎる、が比較してもしかない。それより、半世紀以上が経過して今握りしめている物があるとしたら、それは握りしめる価値のある大切なものだろうか、それとも手放すべきものか?
注意:自らの経験から記載しています。投資を薦めるものではありません。投資は自己責任でお願いします。
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