直接資産形成とは関係ないのです。まわりまわっても関係しないかなと思い・・・・・・。
忍者屋敷 前回
さまざまな物に溢れ、一般にはゴミ屋敷と呼ばれる家。足元に注意しないとつまずき、上に注意しないと、洗濯物に顔をなでられ、それを忍者屋敷と呼び変え、気持ちを前向きにして挑む話。前回は客間にあった多くのお品物様、おゴミ様にどいて頂き、生活するスペースを作ったことを紹介した。
その後の挑戦
主も少しずつ物を捨て、できた空間の良さに気がつくようになってきたのだろう。掃除を始めてから何年か経過して、服を廃棄することにした。PE大袋で10袋くらいになった。それでも、まだたくさんの服がある。またリバウンドも。今後も挑戦は続く。
片付け、掃除を通じて考えたこと
なぜ掃除、片付けをするのか?忍者屋敷の生活を通じて、自分の能力を維持、向上させるためかなと思うようになった。もし掃除しないなら不潔、不健康なことは当然だが、それ以上に人間としての力を失ってくことの怖さを感じた。
① 思考力、判断力を失う。
何気に良いなと取っておく。その物にどんな意味があり、どうするのか考えない、気持ち良い感覚に従う。生活していく上での基準がなくなり、考える力が弱まり、本能、感覚(なんとなくいいな)が勝つ傾向になる。
② 選択する力、決断する力がなくなる。
ただ取っておこうとした無意識に対処し場合、本来捨てるか、とっておくかの選択をせず、また決断から逃げたことになる。結果、執着心が強化される。自分が大切にする価値基準を意識して物を選択する力、廃棄する決断力、それらを知らず知らずに失っていく。
③ 主体性を失い、支配される。
おゴミ様の家で生活をした人ならわかる。身体を縮こめて座ることになったり、ハサミ一つを探すのに手間取ったりする。何かに魅かれ、捨てられずにとっていた物が、自分の周囲に存在し自分が押しのけられていく。ある時、なんでそんな恰好をしているの?腰でも痛い?と主に聞いた。いやここにティッシュがあるのだとの返事に私は絶句した。
忍者屋敷でサバイバルしながら、主が力を失っていく状況に気が付いた。そして、知らず知らずに自分もその方向に流されることも気付かされた。物だけではない。考え方についても取っておくのか、捨てて改めるのか考え、決断する必要があるのだろう。もちろん、すぐに簡単にできる話ではないが、掃除機や雑巾を掛けながら、そんなことを考えた。
これから
忍者屋敷で、得たものはなんだろう。主とのコミュニケーションの機会。けんかばかりとしても、そうした時間を持てたことは幸せなのだと思う。というか思うようにしないと救われない。そして、自分の力を向上させたいという気持ちにあらためて気づくとともに、あまり考えずに魅かれる感情で物を貯めこむことが、逆に自分を弱める方向になることの恐ろしさも体験した。保持する物は、具体的な物だけではなく、ある種の考えや、場合によってはお金も含まれるだろう。お金を廃棄するなどとうことはないが、どのような意味があるのか定期的に考えてみる価値はある。忍者屋敷は、玄関から客間までは、普通の家と同じ水準になった。好きな姿勢をとり、深呼吸できる。ただ別の部屋は未だ魔物がいる。自分を高めていけば、コミュニケーションをとっていけば、おそらく、出口は見えるだろう。
一旦終わります。
コメント