何か目標や決め事があって、それを守れない時に説明をする場合、状況により言い訳となる。説明との違いは、自分の過失や責任から逃れようとするところか。でも、考えようによっては似ているところもある。人生を積み重ねた分だけ、たくさんの言い訳があり、最近思いついた言い訳に我ながら感心した。
禁酒と言い訳
お酒は好きだけど、強くはない。それで飲む場合は翌日の体調を考えて、週末だけとして平日は飲まないことにした。それは、決めたことで、そうしているかは別の話。それで今日は飲もうということは多々ある。リラックスには必要とか、飲んだ方が人生楽しく、落ち込むよりましとか、少しなら健康に良い等いろいろあって、ただどう説明をしようが意思が弱いことは認めざるを得ない。
新しくでてきた言い訳
自分なりに驚いた言い訳がある。明日の土曜は忘年会だ。いつもこの会は飲み放題。飲み過ぎたことがあり、そうなると身体にはよくないだろう。飲み過ぎないためにはどうすれば良いか。そうだ、前日金曜夜に飲んでおこう。ここで満足すれば、忘年会ではほどほどで済むだろう。
結果はどうなったか
お酒は控えめにと思っていたけど、イタリアンレストランで、おいしいオーストラリア白ワインを一口飲んだ。なぜオーストラリア産?という人もいたけど、おいしい。とまらなくなる。結局飲みすぎ、二日酔いとなった。金曜に飲んだのは意思が弱かったから。なら忘年会もその意思に支配されることになる。当然の結果だった。しかし、翌日のために前の日に飲んでおこうなんて、よく思いつくと我ながら感心した。そうした自分を知ったことはよいこと言ってみる、がこれも言い訳か?
参考
「株式市場で金儲けすることは、実際、それほど難しいことではない。むしろ難しいのは、手っ取り早くお金を儲けられそうな投機に、お金をつぎ込みたくなる誘惑を振り払うことの方である」バートン・マルキールが著書「ウオール街のランダム・ウオーカー」で記載している。

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