30年は昔になる。ぶらっと一人で山登りに行った。往きの特急、向かい会う席の30~40歳程の女性が、ちらちらと自分を見ているような気がする。目を合わせないよう注意をしていたが、先方は合わせる努力をしていたものか、目が合ってしまい話をすることになった。
目的は?
「山に行くのですか?」
「はい。」
「目的は?」
(いきなり聞く?)「特に、ただ……。」(時間があったし、楽しもうかと。)
「ピークハント?」
「まあ、それもあります。」
「ピークハントってそんなに良いもの?」
大切な目的があり、それを達成する手段がある。その手段は、最終目標のための過程では目的にもなる。そんな流れで聞かれると、今回の登山を説明するのは難しい。
良い目的とは
なぜ修験者が山に入ったか知っていますか。女性は話した。山には金や銀があり、また薬草があります。彼らはそれを見つけ,街に持ち込み、糧にしました。山を歩いている時、もし道に迷ったら導いてくれる光りが見えることがあるそうです。山には霊気があります。30年前のことだ、そんな話をされた気がする。そして、あなたはどうして山に?
ちょっと落ち込んだが
宝を探すでもない。導く光や霊気も感じない。またピークハントに燃えているわけでもない。時間があり、リラックスできるかなとテントを担いで山登りに行く自分は、こうした基準に照らしだされると、つまらない人、価値のない登山者のように思えてきた。しかし、深く考えるのはやめた。歩き始めると、ただ楽しく、また荷の重さもあって考えてはいられない。どちらかといえば性格からつきつめて考えられなかったという方が正しいのかもしれないけど。
いきなりですが、資産運用との関係
なぜリスクをとって運用をし、資産を増やしていく必要があるのか。そのこと自体が目的の人もいるだろうが、必要性からという人は多いだろう。必要性もなく、何もしなくて問題ないなら幸せというもの。必要性がないなら、リスクをとることを進めない専門家もいる。資産運用が必要になるのは、日々の生活を維持し、また目的があるからだ。ライフプランニングでは、その目的はライフイベントとして記載されることになる。イベントが資産運用方針に反映し、資産の状況がイベントの実行に影響して、相互に関係することになる。ところでこのイベントは人それぞれで、そこに優劣はない。私の山登りがそうであるように。などと書くなら、これは言い訳になるだろうか。山で宝物を探し、人のお役にたつ修験者やたくさんのピークハントに努力する人への嫉妬というものだろうか??。
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