直接資産形成とは関係ないのですが、まわりまわって関係があるかもと、ややこじつけた話。少々自虐的。
本質を見る目
「ファンダメンタル価値」理論というのがある。投資にあたり現在の市場価値と本来あるべき本質価値を比較するというもの。本来の価値、これまで自分はどれ程とらえることができただろう。
登山、母からもらったセーター
かれこれ40年前、大学に入り登山を始めた頃の話。秋になり母からセーターをもらった。母が若い頃のもので焦げ茶色、古くさかった。もらうかどうか考えこむと母曰く「厚手なのに軽い。あたたかくて、とてもいい。」カシミヤ製といったかどうか。見た目に気乗りしなかったが、こずかいも乏しいので使うことにした。ある秋の登山で女性の先輩が寒そうにしていたので、セーター貸しましょうかと言った。見せたら断られるかなと思いながら渡した。先輩は着てくれて、しばらくするとこのセーター暖かくていいセーターだねとコメント。その瞬間古くさいセーターは、価値あるセーターに。焦げ茶色は、シックな色に変わった。それ以降、大切に使いはじめた。使い始めると確かに軽く、暖かい。そんな評価が変わったセーターだったが、しばらくすると窮屈になり、また袖も短くなった。母に言うと、「やはり縮んだか、洗濯機で間違えて洗ってしまった。」と説明。しぶしぶ着ていることになっているので怒ることもできない。母からはそれは捨てて、新しく買った方がいいとあっさり言われた。高価なものではないのかと聞くと、そうでもないと最初の説明とは正反対に。あきらめの悪い自分の性格を見抜いてそのように言ったのか、最初からうそだったのか母が亡くなった今となってはわからない。
何が大切なのか、自分で考えている?
大切なものとは何だろう。品質の良し悪し、大切なものの順位、或いは判断する基準やその優先順等々いろいろな見方がある。あの頃、見た目で判断し、人の評価で変わる価値基準だった。もちろん、ケースバイケースではあるけど。それから歳月が流れ、当時の自分からは成長したと言いたいが、どこか心もとない。それともたかだかセーターの話としておくか。「これからは投資が必要ですよ。」そのとおりと思う。しかし自分にとって投資とは?判断基準を持っていないとしたら危ういだろう。まあ考えすぎかな。神経質になり過ぎるのも身体によくないので、ビールを飲むことにしよう。ビールの評価は価格、評判、宣伝と関係なく、おいしい、そうでないと明確に言えている。半世紀以上生きたのだ。
コメント