とりとめない話⑤ 魅せられたものは1

とりとめない話

 直接資産形成とは関係ないのですが、まわりまわって関係があるかも、やっぱりないかもという話を、少々自虐をこめて書きます。

なぜお金を貯めるのか?

 何をわかりきったことを、というかもしれない。知人の中には、貯めることが目的という人もいる。貯まっていくのがうれしいのだ。それはわかるが、普通は目的がないと、或いはあったとしても貯めずに使ってしまうのではないだろうか。お金を貯めていくとき、そのお金で何かを得られる自分が想像できているはずだ。その想像で今使ってしまうのを我慢することができる。ちょっと硬いか。とはいえ昔お金に魅了されて貯めたこともあった。お金そのものに。この場合、貯めたというのは正確ではない。手元にとっておいたという方が正しいだろう。小学校の頃の切手帳がでてきて懐かしいとみていたら、最後のページに岩倉具視の500円札、また伊藤博文の1000円札がピン札で1枚ずつあった。この頃、お金で何かを買う価値よりも、ピン札の美しさに、しわのない紙の張り詰めた、なんというかすがすがしいまでの感触に魅了されたことを思い出した。そして最近発行された新しい一万円札をあらためて見てみる。なんて美しいのだろう。細やかなデザイン、特に3Dホログラムを見ると、渋沢栄一が右を見たり、左を見たりする。しばし動かして見とれた。1万円の交換価値よりも、紙幣そのものがどこか芸術品のように思えてくる。海外旅行で手元に残っている紙幣と比べたらその良さは一目瞭然。日本の紙幣はすばらしい。たださすがにとっておこうとは思わなかった(実は一瞬思った)。貨幣の価値として、「保存(必要とする時まで保存できること)」と「交換(必要な物、サービスを購入すること)」という本来の価値がある。いつの頃からか、おそらく小学校高学年の頃には、本来の価値が優先になって今に至る。だから紙幣の美しさに一時感じ入るが、さすがに切手のシートのようにとっておこうとは思わない。そんなことより、つまり自分がお金を好きになるより、お金に愛される人(お金が集まってくる人)になるべきと誰かが言っていたような、言っていなかったような。今の自分は好かれているだろうか。う-ん。片思いかな、やっぱり。そういえば、渋沢栄一もこちらを見て、ウインクはしなかった。

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